アメリカ行きの約束を反故にされてすっかりやる気を無くしていたのですが、良くも悪くも責任感の強い私は、配属された虎ノ門支店でも精いっぱい働きました。周囲にライバルも多い支店だったので、私のようなある程度経験がある営業が頑張らないと成り立たないようなところだったからというのもあります。

しかし、同時期に外資系の金融機関からヘッドハンティングを受けていて、「夢はなんだ?」「お客様から手数料取って、それで給料もらってうれしいの?」といった揺さぶりを受けていました。自分はどうしたいのか、思い悩む日々……。そんな中で、転機が訪れます。社内に新しい制度ができたのです。それは、「転居を伴わない、異動のない雇用になる代わりに、出世もしない」という職種でした。それは、会社におけるキャリア形成に疑問を持っていた私にはぴったりの制度だと感じました。

なぜ、私が野村證券で出世することに興味を持てなくなったか。それは、10年働いているうちに、「この会社で出世するということは、手数料収入で営業成績を上げることの優先度合いが高い」とわかってきたからです。定量面だけではなく、当然定性面、人間性などはもちろん大切です。しかし、どんな人が出世していくのかを見ていれば、それは一目瞭然。だから、手数料収入に重きを置く働き方に疑問を感じていた私は、野村證券で出世することに魅力を感じることはできなくなっていたのです。さらに、これまでの経験から「転勤を理由にお客様を放り出すこともおかしい」と思うようになっていた時期だったので、「出世できなくても、転勤しなくていいなら責任を持って、長くお客様と対峙できるじゃないか」とも感じました。

また、プライベートの面でも、もともとお世話になった母校のアメフト部のサポートをもっとしたいとも思っていたこともあり、「福岡に戻って、プライベート重視の生活をするのもいいのではないか」と思いました。これらの理由から、その職種への異動を希望。無事に要望が通って福岡に戻ることになりました。34歳の時のことでした。

福岡支店に異動した私は、新しいお客様を担当しつつ、これまで担当させていただいた大阪、新潟、東京のお客様に、「今後は転勤がない形で福岡に異動しました」とご報告しました。すると、「じゃあ、俺の担当になってよ」というお客様がたくさん出てきたのです。嘘なく、寄り添う対応を心掛けてきた自分のことを好きでいてくれるお客様が、これだけいることに感動しました。

実際、大阪のお客様でも新潟の方でも出張ですぐに行くことはできるし、何よりお客様が、私が担当になることを望んでいる。「だから、私にそのお客様たちを担当させてほしい」と上司に頼んだところ、「だめだ」と一蹴されてしまいます。「それぞれに地域に支店があって担当者がいるんだから、絶対だめだ」と言うのです。

今は、離れていてもメールでも電話でもやり取りできる時代です。だから、「誰と付き合うかの方が大事ではないのか。場所はどこだっていいじゃないですか」と私が主張しても、上司は「遠隔地取引はだめ」の一点張り。「こんなやり方ではお客様は離脱してしまう!」と憤りを感じました。

せっかく転勤しなくて良くなったのに、結局は自分を求めてくれるお客様に応えることができない……。それならば、会社を辞めて起業した方が理想とする付き合い方もできるし、プライベートももっと充実させられるのではないか。そう思うようになったのです。

そうして、2018年6月。入社14年目に私は野村證券を退職しました。

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