これ以上野村證券にいても、自分が思うような仕事はできない。そう実感した私は、「転職しよう!」と決心し、会社にも「転職活動しますので、有休をください」と宣言して堂々と転職活動を始めました。幸い、早々に内定をいただいて「そろそろ辞めると話すか」と思っていた時に、急遽東京本社の人事部に配属の辞令が出ます。私が辞めようとしているのを聞きつけた当時の人事部長から呼び出され、「学生に野村證券の魅力を伝える仕事を半年間やってみろ。今、ちょっと気持ちが澱んでしまっていると思うから、入社当時の気持ちを思い出せ」と説得を受けました。迷ったのですが「今辞めたらもったいないぞ」との言葉に心が動かされ、半年間という期限付きで人事部へ異動。入社以来、初めて営業ではない仕事に就いたのがこの時でした。

人事部での仕事はいわゆるリクルーターです。母校である九州大学や、そのほか担当になった大学を回って優秀な学生をスカウトしてくる仕事でした。ちなみに、現在私の会社で働いてくれている社員2人にもこの時に出会いました。自分が「こいつと一緒に働きたい」と思って野村證券に誘ったメンバーだったので、独立する際に声をかけたと言うわけです。

リクルーターは担当の大学に行って、いろいろな学生と話をするのが仕事です。その際、学生たちからは「なんで矢野さんは野村證券に入ったんですか?」と聞かれます。そこでは、自分が勧誘された時と同じ話をしました。「野村證券に入れば、30歳になったときに戦闘能力が高くなっている。例えば、100mを10秒台で走れて、ベンチプレスを100kg上げられたら、ラグビーもできるし、野球もアメフトもどんなスポーツもできるでしょ?」「30歳までにどのスポーツ行ってもいいように、スーパーアスリートになれ。その後に好きなスポーツに行けばいいんじゃない?」と、自分が言われたのと同じことを伝えたのです。これが面白いぐらいに響きました。特に、勉強を頑張っていい大学に入った学生は、学校と塾で勉強を中心に取り組んできた子が多い。だから、私の言葉が輝いて聞こえたのでしょう。このセリフで、多くの優秀な学生を採用することができました。

でも、困ったのは「今のモチベーションはなんですか?」「この先、野村證券でどんなふうになっていきたいですか?」といった質問でした。そもそも辞めるつもりでしたし、間違っても野村證券で出世したいとか役員になりたいとか考えてもいない。学生からの純粋な質問にグサグサと胸を突かれつつ、「そのうち何か自分でやれるように、まだ私も修行中なんだよ。一緒に頑張ろう」といった返事をしてかわしていたように思います。フレッシュな学生たちに触れて心が洗われた反面、「このままじゃいけない」とも真剣に考えました。 そんな中、一つ道としていいのではないかと考えたのが「アメリカに行かせてもらう」ということでした。何か目的があったわけではないけれど、現状から逃げたいという気持ちもあったし、「アメリカに行けるならかっこいいから野村證券にもうちょっと居てもいいかな」と短絡的に思ったからです。「リクルーターとして成果を出したら、アメリカに異動させてほしい」と上司に頼み、OKをもらうことはできました。しかし、結局アメリカへの異動は叶いませんでした。なんだかんだと理由をつけられて、次の配属は東京のど真ん中「虎ノ門支店」。結局、また営業に戻ったのでした。

1件のフィードバック

  1. 矢野さん、あんたスゲーぇね!
    意外な一面を教えてくれてありがと。
    そんな熱いヤツと何かに打ち込める時間を過ごせるヤツは幸せもんだと思いました。
    と同時に、今の自分が周りにいい影響を与えられているか?といった疑問も生じました。

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