会社に戻り、「この方とお話しできました!」と上司に報告したら、名刺を見た上司の顔色が変わりました。その上司が「矢野……、お前、とんでもない人と会っているぞ」と言ったことで、会社がザワザワし始めました。後から分かったのですが、なんとその方は大阪のとある銀行の預金ナンバー1だったのです。とんでもないお金持ちです。

そのことがわかって、私は逆に困ってしまいました。使い切れないくらいのお金は持っている人に、一体どんな商品を勧めればいいのか……。「何%で運用できますよ」なんて話しても、きっとその方には響かないだろうと頭を抱えてしましました。

悩んだ末に私が提案したのは、水不足の問題解決を目指している会社のファンドでした。「これらの会社が成長すればもっと飲める水が増えて、世界中でこれだけの人を助けられます」といった内容の提案を持って行くことにしました。資本市場を通して財を成している方だったので、「資本市場を通して恩返しをしていただきたい。あなたならそれができる」と伝えたのです。

どう転ぶか全くわかりませんでしたが、その方は「他とはまったく違う、すごい提案をしてくるね。いくら買えばいいんだい?」と言ってくださいました。その場でそんな返事をもらえると思っていなかったので、頭の中でいろいろなことが駆け巡りました。「え、どうする? いくらが正解?」と。「もう2度とないチャンスかもしれない」と思った私は、勇気を振り絞って「1億円、お願いします!」と告げました。すると、あっさり「分かった。秘書に振り込ませておく」と言われたのです。

それを聞いて、「こんなに簡単に1億円もの取引が決まるのか」と心から驚きました。そして同時に「5億円って言ってみればよかった……!」と悔しくも思いましたが(笑)。

当時野村證券では、「1発1億円の契約を取る」ことが一種の登竜門となっていました。それを2年目の夏に達成できたのは、私にとっても非常に大きなことでした。この契約のおかげで、成績ボロボロだった私が、8月の営業成績が同期全国トップに。支店でも表彰されました。そして不思議なことに、この出来事の後、私の成績は一気に上がっていくのです。まるで、今まで撒いてきた種が全部花ひらくかのように。別に、私の営業方法が何か変わったというわけではありません。しかし、自信がついてそれが相手にも伝わったのかもしれません。

1年目は本当に苦しかったけれど、さぼったり逃げたりするようなことだけはしませんでした。その頑張りを、1億円の取引をしてくださったお客様が認めて救ってくださったのだと思っています。本当に、私の人生を変えてくださった方だと心から感謝しています。 そのお客様は、残念ながらお取引を開始した翌年に亡くなってしまいました。1年ちょっとのお付き合いでしたが、今も奥様とはお付き合いをさせていただいています。そして翌年誕生した私の長男にはその方のお名前をいただきました。

一生、忘れることができない出会いになりました。

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